SKATEBOARD WORLD

Stevie Williams (スティービー ウィリアム)
25歳 / フィラデルフィア出身 / ロスアンジェルス在住


最近の活動 2006年2月にRbk Stevie Williams Tour 2006で来日
スポンサー Reebock
DGK

単純な賭け事がスケートボーディングを永久に変えるであろうことなんて、誰も思ってもいなかっただろう。世界一のストリートスケーターの一人としてスケート業界の中で知られたスティービー・ウィリアムスは、ドラッグ、犯罪、貧困に囲まれたフィラデルフィアで生まれた。
ある日、バスケットボールをしにいく途中、「見知らぬ他人にオリーを教えれるかどうか」という賭け事をしていたスケート少年に、10歳だったスティービーは出会った。彼には元々才能があった。40分内で、彼はオリーどころか、縁石の上をオリーしようとしていた。彼はスケーティングに惚れ、自転車をスケートボードと交換していた。賭けを受け止め、そのスケート少年を黙らせた後、スティービーと彼のスケートボードは一つになっていた。フィラデルフィアで有名なラブ・パークへ友達に誘われ、その場所で今のスケーターへとスティービーは育った。

ラブ・パークで、後にスケートボーディング・スターとなったJOSH KALISに出会った。彼らの友情は、ストリート・スケートボーディングで新しい時代を生み出した。KALISはスケートボーディングのスタイルを変えたかったので、サンフランシスコへ引っ越した。スティービーなら一緒に変えてくれる事はわかっていた。13歳、20ドルも持ってない。夢をかなえる気持ちだけ持って、スティーヴィーはカリフォルニアへヒッチハイクした。プロのスケートボーダーになるために。サンフランシスコについて、ストリートでの生き方をすぐに学んだ。KALISを含む様々なスケーターと特訓し、6人のキッズと友にアパートを借りた。ストリートは決して優しくなかった。しかし、ボードを持っているからには、ストリートには負けなかった。スティービーは、ヒップホップとスケートボーディングを初めて混ぜた人の一人だ。
10〜12のトリックをぶっ続けでやるというスティービー独特なスタイルを極め、サンフランシスコではテクニシャン・マジシャンとして知られた。
お金はほとんどなかったので、スポンサーにもらった商品を他のスケーターに売って生活をしていった。こういったスポンサー契約のおかげでスティービーは生き延び、数ヶ月後ウェスト・フィラデルフィアに戻った頃には$1700溜まっていた。そのお金はお母さんに渡し、スポンサーのためにスケートしにカリフォルニアへ戻った。

スティービーはスケートボーディングの基準をストリート・スケーティングへとシフトし始めていた。危ないスタントやテクニカルなトリックをアグレッシブに混ぜたスティーヴィーのストリートスタイルは、業界にこのスポーツを改めて考え直させた。今まではほとんどのスケーターが、きちんとしたハーフパイプでスケートする白人達だった。スティービーのヒップホップに影響されたストリート・スケーティングで次世代が育ち、新たなスターを生むだろう。

カリフォルニアでの生活は難しかった。KALISと離ればなれになり、スティービーの一番のスケート・スポンサーが倒産した。彼はやむを得なくフィラデルフィアへ戻った。そこにはもう、ラブ・パークはなかった。今までスケートボーダーが集まっていた場所は、ドラッグ売人のたまり場になっていた。親友KALISと再会するまで、スティービーの世界はボロボロだった。彼がスケートを愛してた事を思い出させてくれたのはKALISだった。またボードに乗り始めれたのも彼のおかげだった。スポンサーなんて関係なかった。スケートが全てだった。ボードを持って、単純にスケートしに行った。フィラデルフィアへ戻って1年もたつ前に、スポンサー達からまた連絡が来始めた。
スティービーはいくつかのスポンサーと契約をし、1997年にはスケートボーディングのスーパースターになっていた。

現在25歳。町中の少年達に無料で教材、スケート・グッズ等を饗する非営利放課後プログラム「Educate to Skate」を全米で立ち上げた。現在はロサンゼルス 


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